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第1回アジア日本人男声合唱祭は、2005年2月12日(土)、タイ・バンコク・タイ文化センター小ホールにおいて開催され、観客の皆様の暖かいご声援の中、感動のステージを創り出すことができました。 当ホームページは、聞いてくださった方々のご感想、参加したメンバーの感動の言葉、写真などの画像を随時アップロードして、世界の皆様に我々の合唱祭の成果をご紹介して参ります。 |
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「第1回アジア日本人男声合唱祭」オフィシャル・レポート 新月会 川村輝夫 |
「第1回アジア日本人男声合唱祭」を振り返って 合同ステージ指揮者 亀井清一郎 |
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2005/2/11/前日 「第1回アジア日本人男声合唱祭」は、2005年2月11日(金)午後4時、インペリアル・クイーンズ・パークホテルの3F宴会場[バンコクパノラマ1]での合同曲練習から、始まりました。 いつもの様に、亀井清一郎(KLGLEE指揮者)さんの厳しくも、ユーモラスな指摘が飛び、その度に曲が仕上がっていきます。合同曲の練習のために、参加する各合唱団を巡回をしたというのですから、その意気込みの程がわかります。 午後6時に合同曲練習が終わり、前夜祭の始まりです。 乾杯から始まり、早速のどをうるおすビール、ジュース、水割り、が 配られ、バイキング形式でタイ料理に舌鼓をならして、あちこちで親交を温める姿が、見られます。しばらく歓談の時が持たれ、各団代表からユーモラスな決意表明が次々とされると、いよいよ本番が迫ってきたという実感がしてきます。急遽来れなくなったメンバーのことや、練習のの苦労話に、同じ東南アジアで働く日本人としての共感が、問わず語りに理解できるので、皆が頷いています。合同演奏の指揮をする亀井清一郎先生の決意表明にも、明日の本番に対する期待がこもっています。また、この男声合唱祭のために、日本からやってきた人達が紹介され、それぞれに短いながらも熱烈な支持と期待の声が異口同音で述べられました。最後に、3,3,7拍子5段階活用(これは、『だんだん締め』と呼ばれ、人間国宝・桂 米朝が考案したといわれている)で、手が締められ明日に備えて解散となりました。 2005/2/12当日 ジャカルタ、マニラ、クアラルンプール、香港、そして主催のバンコクからの出演者達は、2005年2月12日(土)午前8時30分に、タイ・カルチュラル・センター・小ホール客席に集合。演奏会進行説明が行われ、午前9時から男声合唱団のステージ・リハーサルを開始。昼食後は、混声合唱団のステージ・リハーサル。 午後2時30分に開場、三々五々お客様が入場。客席の前半分に、出演者席が設けられお互いに他の合唱団の演奏を聴くことができるようになっています。 午後3時、司会の宇崎喜代美(バンコク混声合唱団)さんが、日本語、英語、タイ語の素晴らしいトリリンガルでのアナウンスが開演を告げます。 最初は、「国王賛歌」をバンコク混声合唱団(60名)が指揮・福本良一さんで演奏され、聴衆も全員起立。 トップ・バッターは、「世界の懐かしい歌から」と題して、マニラ・グリークラブ(2,3,3,2の10名)の登場です。副団長の内山さんが、ユーモアを交えながら、トップを切る決意を表明。指揮は、稲葉谷隆さんで、曲目は、先ずおなじみフォスターの「おおスザンナ」力強い声が、響きます。2曲目は、イギリス民謡「ロッホ・ローモンド」。この合唱団は、どちらかと言うとゆったりしてロマンチックな歌がお得意のように思えます。次のウェルナーの「野ばら」そして、シューベルト「菩提樹」、朝鮮民謡「アリラン」、いかにも副団長の内山直明さんのお好きそうな選曲。「琵琶湖周航の歌」「昴(すばる)」と続き、最後は今回の為に亀井清一郎先生が編曲されたというフィリピン民謡「ダヒル・サヨ」。4声部のバランス良く、ハモリましたがメロディーがもっと浮き出ると更に良くなるでしょう。 ![]() ![]() ![]() ここで、休憩。 第4ステージは、「シーシャンティーより」で、ジャカルタ・メール・クワイヤー(10名)が登場。いろんな事情で参加出来なかったメンバーの代打に諸江さん、内山さん、そして、亀井さんという名物トリオが加わって注目を集めました。2,2,2,3というバランスの良さで、「Swansy Town」から出帆し、流石にベースが強力。「Haul Away Joe」のソロもgood.「Shenanndoh」は、ユニゾンにやや難点ありましたが、「Blow The Man Down」のソロが亀井さんとあって聞かせました。後は、「Sailing Sailing」で、無事に航海を終えました。 指揮は川西一男さん。 ![]() ![]() ![]() 今回の男声合唱祭で感じた1番のことは、「こんなに暖かい雰囲気の演奏会は、日本にはない」ということです。 つまり、どの合唱団が演奏していても、「うまく歌って・・・失敗しないで・・・」と、心から応援する気持が出演者全員に溢れ、聴衆にも溢れているということなのです。どちらかと言えば他の合唱団の失敗を喜び、うまければ、口惜しくてけなすのが、日本の合唱祭です。そのような気持で競い合うのは、コンクールだけで良いのに。だから、コンクールは好きではありません。元々少人数なのに、「メンバーが来れなくなったから、助けて歌おう」というステージがありましたが、この精神は他では得がたいものです。 その気持が演奏会の後の「打ち上げパーティー」で爆発しました。どこの打ち上げでラジオ体操の歌を歌い、ラジオ体操をやりますか。サポーターとして同行しているご婦人方がお下髪を付けて、歌うなんて考えられません。カエルの仮面や衣裳をつけて踊り歌う『筑波山麓男声合唱団』子供達が熱狂しました。「宇宙戦艦ヤマト」など今時の子供達は知っているのでしょうか。どこの団も精一杯楽しみ、歌いました。亀井さんの講評に私(川村)が引っ張り出され、批評漫才をやらされました。各団対抗「柳河」の『御者はラッパの音を止めて・・・』のソロの公開オーデション を打ち上げでやるのは、初めての経験です。こんなのを東西四大学(早稲田、慶応、同志社、関学)OB合唱団演奏会の打ち上げでやろうものなら、血をみるかもしれません。おまけにその審査を私に押し付けられ困りました。歌のうまい下手ではありません。余興なので、座がしらけるようなことはできません。ちょっと困りましたが、すぐに一番無難な方法で解決させて頂きました。どこの団にも芸達者なタレントがいて、各テーブルでの歓談も尽きる事のない笑顔があふれていました。いつ終わるとも知れない長い「打ち上げパーティー」も、 「雨」と「ウ・ボイ!」の大合唱で、大団円。 次回は、クアラルンプールになるとか聞きましたが、万難を排して参加せねば・・・・。 |
こんな演奏会も珍しい! 普通であれば、会場は立錐の余地も無く、聴衆の熱気につつまれた中での名演奏、演奏が終わるや割れんばかりの Standing Ovation 、いつ果てるとも無く続く。これぞ演奏者にとっては代表的な感激の場面ではないでしょうか。今回の演奏会は決してこういう雰囲気ではなかった。にもかかわらず、ほとんどと言っていいほどのの出演者、サポーター、聴衆(今回、大部分の方々は出演者のひも付きだと思われますが)が味わった感激、あれはいったいなんだったのでしょうか? 今回の合唱祭の企画段階で、合同演奏の指揮を依頼され、正直なところ戸惑いました。マニラグリーへは誕生から半年後の昨年6月に一度指導に寄せていただき、実情はある程度分かっていましたが、KLグリーは別として、他のグループに関してはまったくと言っていいほど知らない状態でしたから、選曲の段階から悩みました。どの程度歌えるのか?どんな声?パートのバランスは?などなど。また、各グループへの個別練習が実際に出来るのかどうか?出来たとしても各グループ1回が精一杯。あとは演奏会での合わせのみ、これでどれだけのことが出来るのだろうか。1月から2月の演奏会にかけての限られた期間に各グループの練習スケジュールがうまく組めるのかどうか。私自身それだけの時間を確保できるのか。KLグリーの練習がはかどっていない、定期練習、特別練習のほか1月中に各パート2回づつパート練習をする必要がある・・・・あヽ!もうあかん・・・時間が無い。年末に各グループへの巡回予定がほぼ固まり、あとは1回々々の練習をいかに有効的に行うか。ここまできたらなんとか「せなしゃあない!」。こんな気持ちで、とにかく各グループへの巡回指導を始めました。 男声合唱団マーマーヨ(バンコク) 1月9日(日)、巡回訪問の皮切りは今回の演奏会主催地のグループ「男声合唱団マーマーヨ」でした。朝の便でKLIAを発ち2時間後にはバンコクへ到着、一足先にバンコク入りをしていた諸江 修KLグリー団長と今回の立役者福本良一さんの出迎えを受けました。練習開始まで時間がありましたので、演奏予定会場をちょっと見ておこうと現地へ向かいましたが、あいにく会場内には入れず、ガラス戸越しに覗いて雰囲気だけを感じて戻りました。練習はマーマーヨメンバーの田中正裕さん宅で行われました。続々とメンバーが集まり、なかにカンボジアから参加の山田三千夫さんの姿も。しばらくは「柳河風俗詩」の練習をされているのを聴かせていただきました。当日は仕事の関係で参加できなかったメンバーがおられたそうで、ベースが幾分少なかったようでしたが、艶のあるすばらしいテナーとしっかりと歌える中声部が印象に残りました。合同曲の練習に入り、なじみの無い指揮者の要求にもよく応えてくれました。とにかく、とても敏感に反応される、それも十分に音楽的な自然な形での表現に結びつく歌唱力には感心しました。普段の合唱活動がいかにしっかりしたものであるかが窺えました。あとで感想をお話しすると、すぐに出来るけどすぐに忘れるんですと謙遜されていましたが、いやいや大したもんです。このメンバーに欠席者が戻り、日本からOBが数人加わられるということですから、これは素晴らしい。早くも、なんか合同演奏がうまくいきそうな予感がしてきました。 香港日本人倶楽部合唱団 男声合唱団 バンコク訪問より1週間あいた1月23日、2番目の巡回先である香港へ向かいました。今回も朝の便でKLIAを発ち、香港国際空港への到着は午後1時前。空港ではKLグリーOBの真鍋祐治さんと、当地合唱団の団長兼指揮者清水光洋さんの出迎えを受けました。午後2時から練習開始ということで、早速、練習会場である日本人倶楽部へ向かいました。 車内で清水さんの合唱への想いや今までなさってこられたことなどお話を伺いました。その中でも特に興味を惹かれたのは、すべてのパートをご自分で歌われて、それを重ねて録音してアンサンブルにしてCDを作られたというお話でした。山下達郎のそれは有名ですが、私の友人(「千の風になって」を編曲した滝野 豊さん)もそのようなことをやっており、それがいかに大変なことであるかをよく知っているので、清水さんは本当に音楽がお好きなんだと感心しました。後に伺ったのですが、合唱団で新曲に取り組む際にも、各パートをご自分で歌って録音し、それを団員の皆さんに渡してメロディーを憶えてもらうのだそうです。「MIDIよりも声のほうが実感があっていいでしょう」と仰ってましたが、その努力は生半可なものではありません。練習をする前にこのグループの雰囲気が分かるような気がしました。練習は2時過ぎより日本人倶楽部の一室で行われました。テナー2人、セカンド2人、バリトン2人、ベース1人(ベースお2人が都合で欠席されました)の7人でしたが、皆が皆合唱経験者というわけではありません。通常、これぐらいの人数ですと、かなり歌える人がいないと練習にならないものですが、実に内容のある楽しい練習でした。これは、前述しました清水さんの熱心なご指導と少人数の皆さんの熱意がそのような雰囲気を作り上げたのでしょう。お一人お一人のエネルギーが充分に伝わって来ました。3時間近い練習もあっという間でした。 ジャカルタ・メール・クワイヤー 香港訪問の次の週、1月29〜31日に3番目の巡回先であるジャカルタへ参りました。当地へは諸江 修KLグリー団長と田中 充KLグリーテナーパートマネージャーも同伴してくれました。29日が混声合唱団B&Bの定期演奏会が開催されるということで、それを聴かせていただき、翌日にメール・クワイヤーの練習をするという手はずになっていました。演奏会場はインターコンチネンタルの大宴会場で、なんとディナーショースタイルでの演奏会です。客席は500席を超えています。この演奏会は今回で15回目を数え、当地の日本人の間では名物行事として、毎年この演奏会(ショー)を楽しみにされているのだそうです。しかも、今回の15回目をもって終了する「さよならコンサート」ということですから、会場を埋め尽くした聴衆(観客と言った方がよいのか)は、一種の熱気に包まれていました。この内容については、演奏会後の打ち上げでジャカルタのメンバーからスライドで紹介がありましたのでここでは触れませんが。それはそれは一大行事といっても過言ではないものでした。ところで、このような大行事の2週間後に合唱祭が行われるということで、メールクワイヤーのメンバーにはかなりな負担ではなかったかと想像できます。遅くまでの打ち上げの翌日の練習ということで、ガタガタになっているのではと思いきや、そこは百戦錬磨のメンバー達、そんな疲れを微塵にも見せず、練習会場である指揮者の川西一男さん宅に時間どうり集合されたのには驚きました。ただ、定演では20名を超えるメンバーでの「シーシャンティー」をバンコクでは半分以下のメンバーで演奏しなければならない実情を考えると、あまり合同演奏の練習に時間を割かせるのはかわいそうな気がせんでもなかったのですが、そこはそこ「そんな甘っちょろいことを言うてどないすんねん」と我が気持ちに鞭打って、厳しく2時間あまり練習に打ち込みました。さすがは25年の伝統を誇るメールクワイヤー、端々にその片鱗を見せてくれました。でも、ほんまにようやるねえ・・・・ マニラ・グリークラブ 本番を1週間後に控えた2月5日〜7日、最後の巡回先であるマニラへ参りました。KLIAを昼の便で発ち、マニラ到着が午後の4時、KLグリーOBの内山さんの出迎えを受け、練習会場のドゥシット・ホテル・ニッコーへ向かいました。当日は単独ステージの練習のみで、合同曲の練習は翌日にじっくりとやって欲しいとのことでした。練習はホテルの特別室といってもよい、よく響く少人数の練習には適した部屋でした。マニラ・グリークラブは正式な誕生が昨年の1月ということですから、満1歳の若いグループですが、その活動への意欲は旺盛で、地元のテレビ出演をはじめ複数回のステージを経験されています。昨年6月に伺って合唱の基礎的な練習をさせていただいた経緯もあって、メンバーの皆さんとは1杯(いっぱい)飲んだ仲で、勝手知ったグループでもありました。その後は日本人学校の稲葉谷先生のご指導を受けておられますが、そのせいもあって、この半年あまりの間に合唱団としての形付けが出来ていることに驚かされました。それぞれのパートにしっかりと歌えるメンバーがおられること、そのメンバーを中心に皆さんが声を合わせていくといった合唱の基本形が自然に出来てきているようでした。翌日の合同曲の練習には、午前中3時間と午後4時間、合計7時間を当ててくださっていました。この熱心さには頭が下がりましたが、いかんせん、すべての時間を使い切れず、5時間ほどでやることはすべてやってしまいました。半年前であればまだまだ時間が足らなかったでしょうが、それだけレベルがアップしていたということでしょうか。でも、皆さんほんとうに歌うことが好きな人たちばかりで、その後、終了予定時間まで単独の練習に励まれました。2日間で10時間近く練習されるのですから・・・・ そうそう、私はこの2日間、内山さん宅に滞在させていただきました。3日目は月曜日でもあり「ウイークでもありますので、どうぞ仕事に行ってください。私はぶらぶらして勝手に帰りますから」と申し上げたのですが、「いやいや、今からシーシャンティーのパート練習をしていただきたい」とのご要望。実は、ジャカルタ・メール・クワイヤーのメンバーの方が、数人演奏会に出席できなくなったとのことで、川西指揮者より諸江さん内山さんに助っ人の依頼があったのです。われわれが歌ったのは4年以上前の話で、すっかり忘れてしまっています。そこで、せっかく歌わせていただくのであれば少しでもお役に立たなければということで、急遽、個人練習をしなければならなくなったのです。9時から延々3時間、お昼になってやっと開放していただきました。心地よい充足感に浸れた3日間、さわやかな疲れを楽しみながら帰途につきました。 前日練習とステリハのこと いよいよバンコク入り、ぞくぞくと各国よりメンバーが集まってきます。どの人たちともすでに顔なじみ、一杯も二杯も飲んだ仲間たち。私にとっては別々のグループといった感じがしません。どうしてこんな雰囲気になるのだろうかと不思議に思う一方、巡回指導時の様子が鮮明に思い出されます。演奏に関して不安なんてまったくありません、どんな素晴らしい音が味わえるのかといった期待感で一杯でした。練習会場に集まった総勢70名を越す皆さん、その誰もが私と同じ思いであったのでしょう。気負いもなくリラックスの状態で練習が始まりました。第一声を聴いた時点から期待を上回る充実した音色が響いてきました。巡回時の練習状況から、不安材料があるとすればパート間のバランスかなと考えていました。それは、各グループとも欠席者が比較的ベースに片寄っていたためです。しかし、そんな杞憂は一瞬にしてどこかへ消え去ってしまいました。重厚で上の3声部をしっかりと支える申し分の無い響きを持ったベースがそこにありました。また、テナーは暖かい抑揚に満ち、非常に音楽的な表現力豊かな音色を持っていました。少人数の合唱の場合、それぞれが責任を感じて歌うあまり、ともすれば絶叫型になりがちで、特にテナーにおいてはその傾向が出やすく、しばしばアンサンブルのバランスを崩してしまう原因となるのですが、それぞれが信頼しあって声を合わせることに神経を使われたことが、このような結果に結びついたものと思われます。また、男声合唱の上手い下手は中声部によって決まるといわれていますが、今回の合同演奏の成功はセカンド・バリトンによるところが大であったと思います。微妙な音の動きと音量がハーモニーの安定に大きく影響します。十分に役割を果たしてくれました。私は過去に幾度となく合同演奏の指揮をさせていただいたことがありますが、今回ほど私の指示が徹底し、一体となって演奏が出来たことは数えるほどしかありません。だいたいは燃焼しきれずに終わることが多く、合同演奏というのはそういうものだとの固定観念が強いのです。しかし、今回は私の一つ一つの指示に対して期待以上の反応がすぐに返ってくる、その繰り返しでどんどん曲が仕上がるといった理想的な形になったのです。巡回時の個別練習で私はお願いしたい事項はすべて申し上げましたので、前日練習、ステリハでは全体のバランスをとることを中心に進めました。こんな楽しい練習はあまり味わえるものではありません。本番では私の指揮は必要の無いほど皆の気持ちが一つになっていました。 演奏会の本番 合同演奏の本番の出来その他につきましては、すでに多くの方々がその感想を書いておられますし、私の思いも同じです。あえて重複を避けさせていただきますが、最後に演奏会全般について少し感想を述べさせていただきます。 この種の演奏会となりますと、どうしても演奏時間が長くなってしまいます。しかし、プログラムを見ますと、どれも外せないものばかりです。賛助出演をしていただいたバンコク混声合唱団もこの演奏会では無くてはならない重要な役割を果たしていただきました。聴いているわれわれも新鮮な風を感じましたし、海外の日本人による合唱団ではなかなか実現しにくいほどメンバーも粒揃い、技術的にも高度で安定しており、男声合唱の5グループの演奏にはない安心感が会場を満たしました。まあ、上等なお口直しのようなものでしょうか。でも、その、安心感に欠けるという点が、演奏者を感激させ、今回の演奏会を成功に導いた大きな原動力であったことが「こんな演奏会は珍しい」に結びついたのでしょう。歴史も現状もさまざまなグループが合同演奏ではぴったりと一体となり、個別の演奏では特色のある個性を存分に振りまくといった、まるで手品のような変化が、たまらなく皆を楽しませました。その中でも特にわれわれを喜ばせたのは香港のグループでした。絶妙といってもよい雰囲気をかもし出しそのムードに引き込まれました。こんなに変化に富んだ、それでいて暖かい演奏会。このムードをそのまま引き継いだ第2回の演奏会が実現できるでしょうか・・・・ ![]() 合同 ![]() 全体 写真はバンコク・福本氏、及びKL・軽部氏(合同のみ)の提供です。 |
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アジア男声合唱祭を終えて 第1回 アジア日本人合唱祭 実行委員長 福本良一 |
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03年2月にバンコクに赴任しバンコク混声合唱団に入った。結成されてまだ1年、歌の技量はさておいて和気藹々の楽しい集団だ。しかし何か物足りないのに気づいた。男声陣である。混声合唱団の運営に不可欠な男声陣の見識と行動力である。女声パワーの陰に隠れてまるで金魚のフン状態。こりゃいかん、男声陣を活性化せねば。 03年7月の演奏会の後の打上げの席、宴も終わって女声陣が帰り始めた会場の一隅に、しこたま呑んだおじさん達数名がとぐろを巻いていた。「男声合唱をやろう」。小生の提案は唐突であったが、酒の酔いも手伝ってか衆議一決、団の名をかねて用意の「マーマーヨ」とし、手始めに多田武彦の「雨」を練習する事が決まった。 しかし昼夜を分かたず仕事に追われる男声陣に、男声合唱団として独立した活動をする程の時間的余裕を持てる者は誰もいない。結局は混声の練習日に30分「残業」し、日曜に「休日出勤」して練習を積むこととなった。貴重な時間を有効に使うのは男の得意とするところ、思えばマーマーヨ団員の恐るべき集中力と歌への執念はこの過程で醸成されていったのであろう。 04年2月の定期演奏会で組曲「雨」の全曲を披露して好評を博し、気を良くしたマーマーヨに次のチャンスが訪れたのは4月のことであった。立ち上げたばかりのバンコク混声のホームページのリンク先を捜す中でKLグリークラブの存在を知り、メールを通じて知り合った団長の諸江さんとバンコクで初めてお目にかかったのが4月20日。合唱談義を交わす中で、巨躯に似合わず繊細で誠実な彼の人柄を知ると共に、KLグリーのバンコク演奏旅行の計画を知った。まだヒヨッコとは言え男声合唱団の看板を掲げるマーマーヨ、相手が大先輩のKLグリー相手と言えども、ここは単なる演奏会のお手伝いで引き下がる訳にはいかない。「ジョイント・コンサートをやらせてください」。咄嗟に出たこの言葉が、1年後のアジア男声合唱祭に結びつくとは当時は夢想だにしなかった。 6月になり話は急に進展する。バンコクでのジョイント・コンサートの話はKLグリーOBを通じてマニラ・ジャカルタに、さらにマニラから香港に伝わり、計5ヶ国の参加するアジアで未曾有の男声合唱祭に膨れ上がった。マーマーヨ団員に諮ると、大賛成してくれた。楽しい事は迷わずやる!結論の早いのがマーマーヨを心地良く感じる理由の一つである。 しかし冷静に考えてみると、小生も合唱歴は長いが一度も演奏会のプロデュースなどしたことがない。他の団がどのような価値観をもって活動をしているのかも知らない。その中から共通項を見出して合唱祭のコンセプトを作るところから始めなければならない。まるで雲をつかむような話である。違う国に住む身の上、膝突き合わせて打合せる事も容易ではない。大変な事を引き受けてしまったと後悔した。後悔とは先に立たないものである。 幸い時間もたっぷりあった。メールで色々やりとりするうちに他の団の皆さんの考え方もだんだんわかるようになってきて年末頃には「合唱祭」のイメージも固まってきた。考えに行き詰った時にはいつも諸江さんが的確なアドバイスをくれた。合唱祭のコンセプトは諸江さんに負うところ大である。 マーマーヨにとっても合唱祭のインパクトは大きかった。合唱祭参加を聞きつけて続々と入団者が訪れ、団員数は26人に達し1年前の倍になった。喉に覚えの合唱経験者も含め多彩な人材が集まった。10月にはバンコク日本人会文化祭にマーマーヨとしての単独出場を果たすと共に、黄金色のタイシルク製ステージ衣装を作った。否が応でも志気は上がった。マーマーヨの盛り上がりはバンコク混声女声陣にも伝わった。もはや金魚のフンではなかった。 タイは植民地を経験していないせいか合唱などの西洋文化には冷淡であり、集客も困難、何よりまともなコンサートホールがない。まずはホール探しから始まった。やっと見つけたのがタイカルチャーセンター、音響もタイではベストだと言う。しかし問題はあった。同ホールはタイ国文化省の管轄であり、典型的なお役所仕事をするお役人を相手にしなければならないこと。案の定、1回目の予約は勝手にキャンセルされるし、使用できる設備の説明は無いし、使用費など演奏会が終わって請求書が来るまでわからなかった。 ハプニングもあった。演奏会の翌日が総選挙の投票日になることが年末になって決まったのである。タイでは選挙の前日は酒の販売は一切厳禁である。今さら演奏会の日取りを変えるわけにもいかない。でもおじさん達の演奏会の打上げに酒が無いなんて。幸いその後の政党間の駆け引きの中で、選挙は1週間前倒しになり、無事演奏会の後の美酒にありつけることになったのである。 1月には演奏会場への唯一の足である地下鉄が衝突事故を起こして無期限の運休となり、会場付近の道路は連日大渋滞が続いた。これではお客さんに来てもらえない。最後の手段、バスでもチャーターするか?と考え始めた頃、ようやく運転が再開された。演奏会の11日前であった。 当日の朝も、前日に打ち合わせたにもかかわらず舞台の準備は何もできていないし、調律師は来ないし、(タイでは驚くに当たらないのだが)、まさにハラハラの連続であった。なんとか演奏会を無事に終えることができたのは、まさに神のご加護、奇跡以外の何物でもない、と思う。 演奏会が終わって暫しの間、放心状態が続いた。ようやく落ち着いたところで振り返ってみれば、皆さんのご協力なしにはあり得なかった合唱祭だとつくづく感じた。 すべての参加者・聴衆に、あらためて男声合唱の素晴らしさを教えていただいた亀井清一郎先生。 プログラム・ポスターのデザインから製作、合唱祭HPの維持更新、さらに記念のTシャツまで作ってくださった諸江修さん、KLグリーの皆さん。 ホールの確保・会計・庶務、果ては当日のステマネまで、まさに八面六臂の活躍を見せた渡辺いづみさん。 ホールの予約・申込みから演奏会当日の段取りまで、何度も何度もホールへ足を運んでくれたワンナパ嬢。 上記の女性二人を陰で見事に操った渡辺淳一郎さん。 持ち前の語学力で、前代未聞の3ヶ国語司会を見事にこなしてくれた、宇崎喜代美さん。 演奏会場の設営・弁当手配・受付など、演奏会のすべての裏方をこなしてくれた、田中淳子さん、森田佐知子さん。 朝早くから来て、一日中舞台写真を取り続けてくれた甲村尚久さん(甲村真奈美さんのご主人) 津波報道で多忙を極めながらも、ビデオ撮影からDVD製作、さらには打上げの司会まで引き受けてくれた原田誠さん。 広報責任者として、タイのメディアはもとよりバンコクの町を合唱祭のチラシで埋めつくしてくれた田中正裕さん。 仕事そっちのけで前夜祭・打上げのすべての手配を短期間でこなしてくれた黒田篤郎さん。 打上げの企画に凝るあまり演奏会当日は風邪を引き、毛布を被りながら打上げの受付をしてくれた佐藤和哉さん。 歌の練習はそっちのけで打上げの締めに命をかけた小見山俊彦さん。 会社のコピーマシンをこっそり総動員してチラシの印刷に協力してくれた男声諸氏(敢えて名は伏せる)。 その他大勢の方々が熱い思いを持って合唱祭の進行に協力してくれた。 この場を借りて厚く御礼申し上げる。 そして何より 熱い情熱を持ってはるばるバンコクまで歌いに来て下さった出場者の皆さん! 高い飛行機代を払って日本・KLから応援に駆けつけて下さったサポーターの皆さん! 有難うございました。第2回合唱祭に向けてまた頑張りましょう。 ジャカルタではB&B、バンコクではバンコク混声(略してB混)、血液型は勿論B型で関西人の 福本良一@バンコク混声合唱団・男声合唱団マーマーヨ |
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コンサート・プログラム | 合唱祭が終わって |
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国王賛歌 バンコク混声合唱団 指揮:福本良一 第1ステージ 世界の懐かしい歌から マニラ・グリークラブ 指揮:稲葉谷隆 おおスザンナ ロッホ・ローモンド 野ばら 菩提樹 アリラン 琵琶湖周航の歌 昴 ダヒル・サヨ 第2ステージ 香港発 世界一周 香港日本人倶楽部合唱団 男声合唱 指揮:清水光洋 80日間世界一周 深い河 Soon Ah will be done セントルイスブルース 慕情 宇宙戦艦ヤマト 第3ステージ 柳河風俗詩 男声合唱団マーマーヨ 指揮:千葉啓一 柳河 紺屋のおろく かきつばた 梅雨の晴れ間 休憩 第4ステージ シーシャンティより ジャカルタ・メールクワイヤー 指揮:川西一男 Swansy Town Haul A Way, Joe Shenandoah Blow The Man Down Sailing, Sailing 第5ステージ ビートルズ・ナンバーより KLグリークラブ 指揮:亀井清一郎 ピアノ伴奏:井上芽久美 Day Tripper Girl Michelle Eleanor Rigby Yesterday 第6ステージ 日本抒情歌曲集より バンコク混声合唱団(賛助出演) 指揮:福本良一 ピアノ伴奏:香田弘美 お菓子と娘 ちんちん千鳥 野の羊 鉾をおさめて 休憩 第7ステージ 合同演奏 指揮:亀井清一郎 Gaudeamus 野ばらの花 シュテントヒェン 蛍の光 アンコール 指揮:亀井清一郎 ピアノ伴奏:井上芽久美 千の風になって |
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指揮者 | 参加団体 |
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合唱雑誌「ハーモーニー」記事掲載 | GoogleでNo.1サイトになる! |
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世界最大のサーチエンジン「Google」でこの第1回アジア日本人男声合唱祭のサイトがNo.1サイト、つまり一番最初に出てくるサイトとなりました。皆様もhttp://www.google.co.jp で「合唱祭」を検索してみてください。今やわれわれの合唱祭は日本語世界では最も有名な合唱祭となってしまいました。 |
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アジア日本人男声合唱の広場 |
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各団からのお知らせやエピソードなどのページです。 掲載ご希望の記事は、glee@cyberlite.comまでお送りください。
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更新記録 |
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