第3回アジア男声合唱祭に参加して KLグリークラブ 清 宮 衛


9日朝6時半に目が覚める。やばい。7時半にはタクシーが来る。前夜12時まで残業し、風呂敷残業をかかえて帰ったものの午前2時頃に寝込んでしまったらしい。1月半ばからの風邪は治っていない。仕事は終わっていない。シャワーも浴びてなければ、行く準備も何もしていない。慌てまくって支度をする。パスポート、お金、楽譜、それにタキシード。とりあえずこれで何とかなる。ともかく、バタバタと準備をして、Fさん夫妻と空港へ向かう。話しているなかで、各団に渡すTシャツを忘れたことに気付く。あ〜、やばいじゃん。空港に着いて、まず同僚に仕事が終わってないことを連絡し、あとを頼む。ごめんなさ〜い。それから我が団の名マネージャーKさんにTシャツを忘れたことを報告。すると、実はKLの分を含めてだから持って来なくても大丈夫、ちゃんと保険をかけてるから、との返事。あ〜、よかった。でも、すみません。機内に入って、斜め前の席にいるIさんが暗譜用のカンペをチェックしているのが目に入る。Iさんはもう完璧に覚えているだろうに、念には念をということか。オレもやらなくちゃ。まだあやしいところがあるのだ。しかし、寝不足がたたってうつらうつらするうちにマニラ空港に着いてしまった。Tシャツを忘れたことは、前夜祭でネタにされてしまった。すみまっしぇん。ホテルの部屋にもどって翌日の準備をすると、あれ、黒の靴下がない。あ〜ア・・・。

「行って、歌って、帰って来る、ただそれだけの3日間」。第1回の感想文の冒頭に書いたものです。1日目の「行って」は上述のごとき有様でした。しかし、3回目となる今回も前2回同様、私にとっては静かな感動の続く時間と空間をみなさんと共有できたすばらしい3日間でした。
そのすばらしい時間を共有できたひとつの大きな要因は、主催するマニラグリーのみなさんによる周到な準備でした。その中でとりわけ今回ありがたかったのは、各団のステージをすべて見ることができたことです。これは会場の構造にもよるでしょうが、出番を前にしても舞台袖で待機するのでなく、観客席の脇通路で待機することで可能でした。さまざまな準備に携われた皆様にお礼を申し上げます。

 KLグリーの単独ステージは昨年同様全曲暗譜でした。昨年の定期演奏会で1度は覚えたはずなのですが、私には細部において不完全なところが残っていました。ハミングの部分の音をはっきり把握できていないところがあることはわかっていました。そこで、せめて歌詞だけは完全にしようと、9日夜もカンペを何度も眺めました。本番で楽譜なしで歌う、つまりずっと指揮者を見て歌うというのは、今すぎてゆくこの瞬間瞬間に団の皆が指揮者の指先に気持ちをひとつにしているということでしょう。第2回でもそうでしたが、今回もそのことが歌いながら実感できました。指揮者が指先を静かに止め、演奏が終わると「やった、終わった」と心でつぶやいていました。

合同演奏は100名近い大合唱ですが、人の多寡を思わせることなく、歌う側は静かにしかし熱く、聞く側も奏でられる調べを聞きもらすまいとするかのような、透明な一体感を感じさせました。そして「からたちの花」でピアニッシモに向けて全員の気持ちが最高に達し、すばらしい調和をみせて指揮者の指先が止まりました。「やった、終わった」とまた心でつぶやきました。

打ち上げパーティーでの全員合唱で「千の風になって」を歌うと、バンコクでのアンコ−ルシーンが浮かびました。あのときは涙ぐんで声がつまりましたが、今回は、まわりの声を聞きながら、みんなと一緒に歌っているという満足感に浸りながら歌うことができました。次の「U Boj」は、バンコクでは何がなんだかという状態でしたが、今回は少し歌えるようになっていました。そして最後は「Till we meet again」。「悲しい別れ」ではなく、次の再会を約するこの歌のとおり、同じテーブルの人たちと「また来年会いましょう」と握手をして、終わりました。

「歌って」形にのこるものはないけれど、この感動をもらうために、いやもらうだけではなく作るために来たといえるでしょう。この感動は第1回から今回まで、そして来年のジャカルタへとつなげてゆきたいものです。私はおそらく来年も参加できるでしょう。この合唱祭が続くかぎり、参加したいものです。

行って、歌って、それだけ。でも十分です。日常を忘れて、言葉を交わすことのない多くの人たちとも心を通わす時間を持てたのですから。その思いを心に「帰って来」ました。みなさん、ありがとうございました。