私の中の『マニラ合唱祭』 KLグリークラブ 諸江修


3回目の『マニラ合唱祭』は私にとって前回2回とは違って、心がリラックスした状況で参加させていただいた合唱祭でした。第1回のバンコク合唱祭の際は、第1回ということで、合唱祭の言いだしっぺの1人として、事前にアジアの各地を1人で、または亀井さんの巡回練習に同伴して訪問し、ご挨拶をすることから始まり、KLが担当したTシャツ作成、パンフ作成、ホームページ、またバンコクまでの旅行のアレンジ、打ち上げの出し物の調整など多くの作業があり、バンコクへ出発するまで非常にバタバタしていました。第2回のKL合唱祭では、実行委員長として常軌を逸したてんてこ舞いの状況でした。今年はマニラの管野さんから依頼された、ポスターとパンフ作りだけが私の合唱祭本部での仕事で、KLの中の仕事は近藤さんがすべて担当してくれましたので、パンフの原稿を印刷屋に出してしまってからは、拍子抜けするくらい暇な10日間を過ごし、マニラにリラックスして行くことができました。特にすることがないのに、過去2年の経験から、合唱祭の前の2週間は仕事なんかしている暇はないと勝手に勘違いし、仕事のアポをほとんど入れず、会社でもすることがなく、ぶらぶらしていた次第です。実はあまりに暇でマニラに行く1日前の午後にマッサージに時間を潰しに行き、コンサートやリハーサルで立っている時間が長いので、準備のために思い切り足を強く揉んでもらったら、揉み返しが来て、マニラでは足が痛くてかなりつらい思いをしたというおまけつきでした。



今回マニラの皆さんからご依頼を受けたポスターとパンフについては、ご依頼を受けた日から半年間、折りあるごとに、どのようなものにしようかと思いを巡らし、いろいろな雑誌を読むだびに、そのレイアウトやデザインを合唱祭のパンフに使えないか、などと考えに考えてきました。それは私にとって、とても楽しい宿題でした。最終的に、日本人の合唱祭なので、日本の景色か日本の歴史的な建造物がいいと思い、10月のラマダン明けの休暇で日本に帰った時に、京都に行き、京都のあちこちで写真を撮りました。その中で二条城の屋根と京都の秋晴れの景色がもっとも合唱祭のテーマに相応しいと、独断と偏見による確信を得てしまい、それをポスターに使わせていただきました。またパンフの裏表紙は、2月ということで、早春の花・梅2つを違った背景で撮ったものを使わせてもらい、早春の気分を味わってもらおうと思いました。実は梅にはもう1つの意味を込めました。「梅は、笑って風雪をものともせず、争わず、策を弄せず、百花(すべての花)の魁(さきがけ)の地位を自然に獲得している」です。アジア日本人合唱祭が、風雪を物ともせず、争わず、策を弄せず、自然に世界中の日本人の合唱団の魁となっているという思いを込めてみました。全く素人のやる作業ですので、プロのデザイナーのようには行きませんが、素人は素人して、技術のない分を時間を掛け、心を込めてパンフレットを作らせていただきました。このようなチャンスを過去3回とも与えられましたことを心から感謝します。



マニラにお邪魔して最初に感じたことは、マニラの皆さんが本当に丁寧な準備をされ、私たちを暖かく迎えて下さっているということでした。そして全体練習の始まりの第1声を聞いた時の震えるような興奮。しばらく忘れていた大人数の男声合唱の醍醐味に感動が沸き起こってきました。「合唱をやってきてよかった。」と思う瞬間です。18歳の時に同志社グリークラブに入って以来、神戸でも、シンガポールでも合唱をやってきて、KLでは8年前からKLグリークラブを立ち上げ歌ってきた結果、今ここで皆と歌えるということを思うと自分の中で感動の思いがはじけて来て、涙を抑えるのが大変でした。合同演奏がこれほど楽しく、待ち遠しい合唱祭。そのたった1回の合同練習は感激といろいろな思いの中であっという間に終わってしまいました。

前夜祭では、香港の油井さんに大学卒業以来初めて再会しました。油井さんは私と同じ学年で、立教グリーの学生指揮者をしていた人で4年生の時に同立合同演奏会を京都でやったのが縁で親しくしていました。忘れていましたが、油井さんは私の実家でアルバイトをしていてくれたこともあり、私の親のこともよく知っている間柄でしたが、ずっと会うことなく、今まで20年以上が過ぎてしまいました。マニラ合唱祭がなければ油井さんとは一生会うことはなかったと思うと、これからは少なくとも1年に1度は会える関係になったことは本当にすばらしいことだと思います。

同志社の先輩後輩の皆さんと会えたことも最高でした。同志社の先輩後輩とは、ジャカルタの指揮者の川西さん、バンコクグリーの指揮者の杉山君(彼は私が同志社グリー4年の時の1年生)、マニラの奥村さんと岡本さん、香港の堂崎さんです。残念ながらバンコクグリーの池田さんには挨拶が出来ず仕舞いでした。またカラチの内山さん(同志社グリー出身)が急用で参加できなくなったのも残念なことです。KLグリーにも梶山さん(同志社グリー出身)、近藤さん、牧野さんと3人の同窓生がいますので、私の確認しているだけで、合唱祭関係で11名の同志社卒業生がいて、うち4人が同志社グリー出身です。お名前が漏れている方がいたら申し訳ありません。合唱祭内で派閥を作るつもりはありませんが、もしかしたら同志社が最大派閥かもしれません。



合唱祭本番、今年は観客としても他の団の皆さんの演奏を聞かせてもらうことができ、それぞれにすばらしい演奏で感動しました。

<ジャカルタ>
第1回の時にはジャカルタに助っ人で参加して歌ったこともあり、また指揮者の川西さんは大学の先輩というだけでなく、短い間ですが、KLグリーでも一緒に歌っていた仲間でもあるので、他人とは思えない思いで聞かせてもらいました。人数が少ない中で1人1人が一生懸命歌っている姿が印象的でした。またピアノのベドゥ裕子さんが、音楽の先生の本領発揮というか、ピアノで皆をリードしている様子に感銘を受けました。

<バンコク・グリー>
バンコクグリーの演奏は、亀井さんが参加する前の、創立当時のKLグリーを思い出させてくれました。皆で一緒に歌えるのが楽しくて、なにしろ歌ってしまえ!という感じがとてもよかったと思います。亀井さんの大変な努力で普通の合唱団になった(?)KLグリークラブにいますと、時々荒削りの新しい合唱団が懐かしくなる私です。時々仲間に入れて欲しいなあと思ったりしました。「好きですサッポロ」の演技は最高でしたし、最後の「すばる」は思わず一緒に口ずさんでしまいました。

<香港>
KLはコメントはできないので、さておいて、香港は少数精鋭のすばらしい演奏だったと思います。人数か少ないので、1人1人の声を鑑賞することができ、とてもよかったと思います。清水さんの永遠の青年の美声テナー、堂崎さんのオペラ歌手顔負けのテナー、油井さんは藤山一郎のような透明感のあるハイ・バリトン、スティーブンさんの味のあるバリトン、そしてあの亀井さんも惚れ込んでいる山本さんのベース。特に堂崎さんが編曲したテレサ・テンの「月亮代表我的心」は編曲も歌声も最高でした。

<バンコク・マーマーヨ>
マーマーヨは今年は、10人の現役メンバーと9人の助っ人という大変な状況でしたが、伊藤さんの指揮で歌った多田武彦は、心のこもった味わいのある演奏でした。正統的男声合唱団の面子が保たれた演奏だったと思います。特に最後の曲の富士山の作品32の「夕映えの富士」の掛け合いや「翠藍ガラスの大驟雨」の歌声には感動して涙が出てきてしまいました。

<マニラ>
マニラグリークラブの最後の曲、「川の流れのように」の男声合唱用の編曲のオリジナルが今回マニラグリークラブが演奏したもので、ピアノ、バイオリン、チェロの伴奏付です。その楽譜をマニラグリークラブにお渡ししたのが、実は私、ということもあり、初めて聞くオリジナルの男声合唱「川の流れのように」はひとしお感慨深いものがありました。そしてまたマニラグリーの歌声が実にすばらしかったです。地元のバイオリニストとチェリストの演奏を聞いて、フィリピンは他の東南アジアの国々に較べて音楽のレベルが高いなあと感じましたし、そのレベルの高い音楽に高揚されたマニラの皆さんの演奏も最高にすばらしいものでした。器楽出身の指揮者の管野さんが合唱と弦楽器のコンビネーションで彼の音楽性を存分に発揮しているなあと感じました。

<合同演奏>
合同演奏は私自身も歌うメンバーでしたが、毎年のことながら、感動のステージでした。多くの仲間と一緒に歌うことがこんなにすばらしいものだったのかということを、また再確認をさせられました。歌は1人で歌っても楽しいです。4人のカルテットも楽しいです。そして100人の合唱も楽しいです。神様なんとすばらしいプレゼントを人間に下さったのでしょうか。



演奏会が終わってホテルに戻り、打ち上げがあり、そこでもまた楽しい時を皆で共有しました。来年はジャカルタでの第4回目の合唱祭となりますが、ますます多くの仲間が参加し、さらに大きな合唱の輪が作られていくことを願ってやみません。今、私に与えられた宿題は、来年のジャカルタのお手伝いをすること。そして昨年結成されたアジア日本人合唱連盟をきちんと機能させることです。それに向かって頑張っていきたいと思います。